http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090621-00000031-scn-cn
中国人の事を「中国類人猿」と小生は呼んでいる。
理由は簡単明瞭。
人間としての資質に大いに欠けてる上に、餌(ODA)をもらっても感謝することも無く、日常的に飼い主(日本人)に対して威嚇してる様子は「猿」そのものだからだ。 =======================記事内容=========================
中国における日本に対する蔑称として「小日本」、「日本鬼子」などがある。「小日本」は日本人の身長が小さかったため、国土が小さいためなどの説があるが、「日本鬼子」は一体どういう起源だったのか。
中国人ブロガー、東海龍太子(ハンドルネーム)がその起源に対する説を綴った。以下は、その要約。
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今から約400年前、中国が清の時代の頃、日本の海賊が中国沿海部に出没しては、焼き討ちや強盗、虐殺を行っていた。当時の人々はこうした日本の海賊を「倭寇」と呼んでいたが、それは海賊たちが小さいうえに醜く、その行為は匪賊に劣らないものであったため、この名がつけられたのだという。
関連写真:そのほかの中国で報道されている日本に関する写真
近代になり、
中国人は日本侵略者のことを「鬼子(gui zi:グイズ)」と呼ぶようになったが、これはどうしてであろうか?
日清戦争の勃発前、清朝は日本に使節を派遣したという。日本側は使節の前で武力を誇示するばかりか、中国の文化について中国を辱める発言を行った。また、日本は上の句だけの対聯(ついれん:対句の意)を出し、「下の句は中国側にお願いすることにしよう」と発言し、「騎奇馬、張長弓、琴瑟琵琶、八大王、并肩居頭上、并戈独戦(意訳:日本の兵は強く馬も頑強、戦いが始まれば即座に中国を平定しよう)」との上句を出した。
それに対し、清朝の使節は弱みを見せずに「倭委人、襲龍衣、魑魅魍魎、四小鬼、屈膝跪身旁、合手擒拿(意訳:兵は強く馬も頑強というが、日本は倭寇に過ぎない。簡単に返り討ちにして見せよう)」との下句を返したのだった。
この対聯のやり取りのなかにあった四小鬼が元になり、中国の人々は日本のことを「鬼子」と呼ぶようになった。日中戦争の際には「日本鬼子」と変化、この呼称は中国全土に普及するようになったという。(編集担当:畠山栄)
テーマ : 中国問題
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