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故人を批判するのではないが、この記事に異議あり!
記事の最後によると、「91年にはオリックスの監督に就任。イチロー選手(マリナーズ)ら若手育成に力を注いだ。」となってるがこれは如何な物か?!
当時、鈴木一郎は二軍で四割近い打率を記録していながら、一軍の土井監督の評価は「あんな打撃フォームでは一軍では通用しない」と完全に無視され続けてたのが現実なのである。
鈴木一郎は「いくら打てば一軍に上がれるのか・・・」と涙を流していたそうだ。
そんな折、翌年にオリックスの監督に故仰木彰氏が就任した。
二軍で失意の日々を送っていた鈴木一郎の打撃を見て「ミートが上手そうやな・・・」と言って一軍へ。
そして鈴木一郎から「イチロー」に改名も指示したのだ。
その年はいきなり200本の安打を放ったのは記憶に今も鮮明だ。
なのに、何ゆえにこの記事はイチローを育成となってるのだろうか?
理解にに苦しむ記事である。
まさか、関東地方ではイチローを育てたのは元巨人軍の土井監督と報じてるのでは?
=======================記事内容=========================
プロ野球・読売巨人軍のV9時代に名二塁手として活躍し、オリックス監督を務めた土井(どい)正三(しょうぞう)さんが25日、亡くなった。67歳だった。
2007年3月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けて療養中だった。
兵庫・育英高から立教大を経て、9連覇が始まった1965年に巨人に入団。堅守の二塁手、巧打の2番打者としてベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞1回に輝いた。玄人好みのプレースタイルは「いぶし銀」と呼ばれ、通算242犠打(日本歴代12位)は、現役を引退した78年の時点では吉田義男さん(阪神)の264に続く歴代2位だった。通算安打は1275。
引退後は巨人の守備走塁コーチなどを歴任し、91年にはオリックスの監督に就任。イチロー選手(マリナーズ)ら若手育成に力を注いだ。2007年に東京ドームで行われた「栄光のV9シリーズ」では、入院先から、グラウンドに駆けつけ、ファンの大声援に応えた。