>仮説(予想)→違和感(現実)→新たな仮説作り(修正した予想)
まずは、中国人の証言にどれほどまでの信頼があるかという事が肝心だ。
嘘を吐くのが本能である中国人の証言では事実も事実で無くなり、真実は永遠に闇に葬られるばかり。
麻生氏の努力は認めるが、中国人を相手にしてることが、全てを無駄にしてると僕は強く思う。
ひとつ、大いに共感できるのは「日本と中国のメディアは主張や目的の違いこそあれ、同じような土俵を作った意味で共犯関係にある。双方に共通するのは中国政府以外の社会空間になかなか身を置こうとしないことだ」との文だ。
NHK(日本非国民協会)朝日新聞(赤旗アカ日新聞)・毎日新聞(毎日恥知らず新聞)等は、中国支配から今も抜け出せないメディアである。 =======================記事内容=========================
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091026-00000070-scn-cn
書名:『反日、暴動、バブル-新聞・テレビが報じない中国-』
著者:麻生晴一郎(著)
出版社:光文社
価格:861円(税込)
サーチナにコラムを寄稿されている麻生晴一郎さんが『反日、暴動、バブル-新聞・テレビが報じない中国-』という本を出されている。巻末に添えられたプロフィールによると、麻生さんがはじめて中国を訪れたのは学生時代の1987年のことで、上海やハルビンを放浪して卒業後も多くの時間を
中国人社会のなかで生活してきたという。
本書の目的は中国で起きている新たな潮流に真正面から取り組むことで、多くの日本人が抱いている既存の中国像に修正を加えてゆくことにある。
■日本と中国のメディアは主張や目的の違いこそあれ、同じような土俵を作った意味で共犯関係にある。双方に共通するのは中国政府以外の社会空間になかなか身を置こうとしないことだ。
■自分の頭のなかにある中国像を修正して、確固たる向き合い方を自覚したうえで中国と向き合うこと。
■市民と人民の差は主に政府や社会に対する向き合い方の差であり、日常生活そのものにそれほどの違いはない。……人民がなにからなにまで党に盲従しているわけではなく、中国では政府が干渉しない領域が日本で想像する以上に大きいのだ。
このような趣旨で北京への「反日」探しの旅がはじまるのだが、そこで出会った人々は党に依存しないライフスタイルを構築している新興の市民や実際に反日デモに参加した学生たち、そして日中戦争における戦争被害者や北京郊外に暮らす農民と多種多様な人々で、取材を通してメディアが語らない「反日」の正体に迫っている。
取材スタンスは仮説(予想)→違和感(現実)→新たな仮説作り(修正した予想)の繰り返しから真実を導き出すもので、大切なのは「ごく普通の
中国人の暮らしや考え方」を知ることであり、庶民生活の根底に流れる「上に政策あれば下に対策あり」という文言に象徴される、党と民衆を分けて考えることを重視。
日本には「現場百遍」という言葉があるが、著者は本書に登場する人々だけでもじつに多くの人に会っている。現代中国に自らの問題意識を持ち、新たな発見を求める姿勢がなければここまで真実に迫れるものではない。地を這う姿勢を貫く武骨な著者に脱帽だ。(執筆者:前野晴男 編集担当:水野陽子)
《もくじ》
問題は「反日」ではなく、「親日」の不在
第1部 「反日」から目をそむけては、今の中国は読めない(党からはみ出した「ごく普通の
中国人」/民間運動としての「反日」/消された声)
第2部 北京郊外に渦巻く民間(官方と辺縁/官方に対する市民感覚)
第3部 2つの民間と党(自由と権利を主張する人たち/社会主義と愛国/党を超える行動主体)
親中・反中を超えて