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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090813-00000025-yonh-kr
当時の内閣総理大臣、東条英機の年収の半分以上の「最低保障」のあった慰安婦と言う職業がいつから「性の奴隷」となったのだろうか?
東条英機の年収は6千円。
慰安婦の最低保障の年収は3600円。
もちろん、慰安婦の稼ぎはその数倍は言うまでもない、と言う事は東条英機よりも高収入だった事になる。
しかも、慰安婦募集のポスターも現存しており、慰安婦は「募集と応募」と言う正当な雇用関係での職業だったのだ。
慰安婦にとって日本兵は顧客である。
兵隊がタダで慰安所で遊べば、それこそどんな罰則が待ってるか知れたものではない。
その顧客に対して「日本軍に踏みにじられた・・・」とはどういう思考回路から出てくることばだろうか?
顧客への感謝すら無いのは人として常識が無さ過ぎる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆記事内容☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【報恩13日聯合ニュース】15日に光復節(日本植民地からの解放)がめぐってくるが、忠清北道報恩郡の俗離山ふもとの村に住むイ・オクソンさん(83)は毎年この時期になると、日本軍にふみにじられた16歳の少女だったころの自分を思い出す。
大邱がふるさとのイさんは、日本軍により中国に連れて行かれ2年余り従軍慰安婦生活を送り、光復でようやく生き地獄から抜け出した。「光復節はわたしにとって誕生日も同じです。国を失った不幸がなかったなら、私の人生はこれほど数奇ではなかったでしょう」と語る。
夢に見た祖国に戻れたものの、身を寄せるところはなく全国をさすらった。俗離山に定着してからは、家の門に太極旗を掲げ富国強兵を祈願するという日課を始めた。自分を守ってくれなかった祖国に恨めしさはあったが、力強くはためく太極旗を見るとしばしながら慰安所の恐怖を振り払うことができたためだ。
そんなイさんが今年4月、2000万ウォン(約155万円)を報恩郡民奨学会に寄付した。政府から支給される基礎生活需給金と慰安婦生活安定支援金でどうにか生活を立てながら、食堂の雑役や日当払いの仕事などでこつこつと貯めてきた全財産ともいえる金だ。イさんはそれを、「わたしのような不幸が繰り返されないよう、若い世代を育て国力を伸ばしてほしい」として差し出した。
奨学金寄付は半世紀も前から考えてきたことだ。イさんは30歳を超えて結婚したが、慰安所生活で体を壊したため子どもを持てず、自分の子どもの代わりに苦学生を助けようと決心し、苦しい生活の中で貯金を始めた。
二十数年前に夫に先立たれた後は、高麗人参の露天商などもしながら貯めてきた。「二度と国を失う不幸がないよう、わたしの財産すべてを祖国の未来に投資した。わたしの助けで勉強した青少年が後日、この国を守り世界を率いる大黒柱に成長することを願う」と話している。この先も少しでも貯金ができれば奨学金に役立てたい考えだ。
イさんはこのところ関節炎が悪化し、欠かしたことのなかった太極旗の掲揚を中断したが、国のために祈る生活は変わらない。「国を失う悲しみを経験していない世代には、祖国という垣がどれほど大きく心強いか切実に感じることはできない」と言い、若い世代が国旗の価値を忘れていることを残念がる。それでも光復節の日だけは太極旗を掲揚し国の意味をよく考えてほしいと願うと同時に、祖国の未来を背負う人材に対する投資だけは惜しんではならないと訴えた。