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内閣支持率が50%を超えていたら、鳩山がこんな式典に出てくるはずが無い。
出てきたのは、支持率回復という裏心があっての出席だし、もう一面としてはワシントンポストに「馬鹿呼ばわり」された鳩山そのものをGW中に外遊先として受け入れてくれる国が無かっただけである。
水俣病患者の慰霊式典に、世界が認めた馬鹿が来ても被害者の魂は鎮まらないのは誰の目にも同じである。
==================記事内容====================
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100502-00000055-san-pol
「公害の原点」ともいえる水俣病の公式確認から54年を迎えた1日、鳩山由紀夫首相は熊本県水俣市で営まれた水俣病犠牲者慰霊式に歴代首相として初めて出席、「水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、改めておわび申し上げます」と謝罪した。また、水俣病の原因物質である水銀の国際的な汚染拡大を規制するために国連環境計画(UNEP)を中心に進めている条約に「水俣条約」と名付けるよう、日本として提案する方針も明らかにした。
昨年7月に成立した特別措置法に基づいた申請受け付けも同日、始まり、平成7年の村山内閣の政治決着以来の大規模救済となるが、首相は「水俣病問題がこれで終わると思っていない。今日のこの日を新たな出発の日にしたい」と話した。
首相はかつて汚染された水俣湾の埋め立て地に設けられた慰霊の碑の前で、「かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します」と「祈りの言葉」をささげた。
昭和31年、水俣病が公式に報告されてから熊本、鹿児島での被害拡大を止められず、新潟県阿賀野川流域で9年後に発生した「第2の水俣病」を防げなかったことについても「誠に痛恨の極み」としたうえで「政府として公害防止の責任を十分に果たせなかった」と国の責任に言及した。
被害者に謝罪した首相は、公式確認から50年となった平成18年、当時の小泉純一郎首相が「悲劇の拡大を防止できなかったことを痛感する」といった談話を発表しており、歴代2人目。第1次の政治決着の際の村山富市首相は「率直に反省しなければならない」とするにとどまっていた。
慰霊式には患者や遺族ら約1100人が参加。チッソの後藤舜吉(しゅんきち)会長や小沢鋭仁(さきひと)環境相らも参加した。